画像出典;GIRLY DROP(http://girlydrop.com/)さま
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こんにちは。うみ(@sweeticxoxo)です。
今日は久しぶりにこの本を読みました。
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購入してから、もう何度も何度も、暗記するくらい読んできたはず。
それなのに、すっかり忘れていたことがって。
それは、どうしようかな…と思うことがあったとき、
迷ったならばNGサイン!!!
ということです。
* 迷いの中にときめきは存在しない
わたしには優柔不断なところがあります。
基本的に即決!というものはほとんどありません。
むしろ習慣となっている選択以外は、基本的に全て悩んで選択していると言っても過言ではありません。
お菓子はどちらを食べようかな~とか。
この本を読もうかなそれとも別の本を読もうかな~とか。
こんな風に自分で完結できることなら、多少悩んでさっと答えを出せます。
問題は「誰かから誘われた/勧められた」ことに対して選択をしなきゃいけないときです。
・飲み会に行く?行かない?
・この服似合うって言ってもらったけど…買う?買わない?
・この物件おすすめされたけど…どうしよう?
こんなとき、わたしは散々迷いながらも「せっかく誘ってもらったから」「せっかくお勧めしてもらったから」と、ほぼほぼ肯定の返事を出してきました。
実は今のお仕事も「なんか違う…やっぱり断ろうかな…」と最初に感じていたんです。
それなのに「せっかくのチャンスだし…ここまで来て断ると悪いし…」と思って始めました。
辛くてもこれは慣れていないからだと、慣れたら大丈夫なのだと自分を信じ込ませて。
不満があってもそれはわたし自身がもっと頑張ればいいだけなのだと言い聞かせて。
その結果、精神的にものすごく追い詰められる結果となりました。
この本を読み返して、ようやく気づきました。
迷うとき、そこにときめきは存在しないのです。
少しでもときめきを感じたなら、迷うはずなんてないのだから。
いいな♡と思ったものと、いいかな?と思うものは、全然違うものです。
自分の生活をいいな♡だけで満たした場合と、いいかな?も混在させた場合
いいな♡だけの方がずっと自分らしい生活ができそうだし、一層わくわくしてきます。
* どうしてわたしたちは迷ってしまうのだろう
わたしの場合、そこに「相手」がいるからなのだと思います。
相手を傷つけたくなくて迷惑をかけたくなくて嫌われたくなくて、「せっかく」という気持ちが生まれてしまう。
「せっかく」の気持ちが自分の本心と同じくらい大きくなって、迷いとなってしまう。
ここまで来たら、もう決定の基準が自分ではなくて、相手にある状態です。
相手を傷つけたくないから、相手に迷惑をかけたくないから、が決断する理由になってしまっている。
迷った時点で、決定権がわたしから離れてしまっているのです。
選択はわたしの心が行うことであるはずなのに。
* 全てがチャンスではない
だから、これから迷ったことは全てNGサインとして処理をする。
そもそも心がNGサインを出していることまで、わざわざ”チャンス”と捉えなければいけない!なんてことはないのです。
チャンスは「ときめき」があってこそ生まれるものだから。
迷ったら、やめる。
それもひとつの選択、なのです。
自分で出した選択ならば、どんなことであっても、決して後悔はしないでしょう。
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